昨年、京都劇場で上演されて大好評だった舞台
本当なら2020年4月24日から東京公演が始まるはずだったんですよね
とても残念ですが、
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため公演中止になりました
苦渋の決断だった思います
チケットが当選して楽しみにされていた方ばかりなのですが、
みなさん偉かったですね
公演中止の決断をきちんと受け止めて
逆にこの舞台に関わる人達を気遣っていらっしゃいました
優しい世界です
ですです
実は私たち、
昨年(2019年)5月11日に日帰りで京都公演を見に行ってたんですよね
そうです
美味しかったぁ
美味しかった?
その時の様子は「ぬるま湯と砂遊び」ブログで少しだけ報告しています。
とても素敵な舞台でした
これは間違いなく東京公演もあると思い、
舞台の詳細はブログには書かなかったのですが
今回の東京公演中止を受けて、改めてこの舞台のことを書こうかと
書くのですね?
と思っていたのですが
先日、草なぎ君がラジオでこんな発言を
「この問題が収束したら、出演者がまた集まろうという話をしてますので、ぜひとも実現させたいと思っています」
おお!
という事で、基本ネタバレなしで(たぶん)
舞台を見て、当時考えた事などをつらつらと書いてみたいと思います
舞台「家族のはなし PARTⅠ」の物語をほんの少し紹介
本舞台は、
サントリーやキンチョーのCMも手がけられたクリエイティブ・ディレクター
淀川フーヨーハイ(中治信博)作・演出の「わからない言葉」
元新喜劇の脚本家だったコピーライター
あべの金欠(武尾秀幸)作・演出の「笑って忘れて」
どちらも夫婦を中心に据えた、独立したお話の2本立て公演となっています。
主演は草彅剛。
共演には「蒲田行進曲」以来19年ぶりに草彅剛と組む小西真奈美。
ほかに畠中洋、小林きな子、池田成志といった芸達者な役者陣が舞台を固めます。
第1話「わからない言葉」
夫婦と飼い犬のいるアパート。
夫婦を演じるのは池田成志さんと小西真奈美さん。
妻はリビングのテーブルで老いた父親を預ける施設の書類を見て頭を悩ませています。
一方、夫は興味さなげにソファでスマホをいじりながら生返事。
夫婦とは別に、さきほどから部屋をうろうろしている男(草彅剛)。
観葉植物を触ったり、スリッパの匂いを嗅いだり、明らかに不振な動きをしていますが夫婦は気にしない。
その男こそ夫婦の飼い犬ハッピー!
相変わらず妻の話しをまともに聞かない夫、次第に険悪な空気になりやがて口論に。
ハッピーは夫婦に何が起きたのか全くわからず大混乱。
だけどいつものようにママに優しく褒めてもらったり、パパには遊んでもらいたい。
ハッピーはパパもママも大好きなのだ。
大きな声をだして何かを言い合っている二人に、パニくりながらもどうにか二人に笑って欲しいと右往左往。
だけど、どうしようもなく人間の言葉がわからない、、、けれどわかる言葉もある
それは「ハッピー!」「ダメ!」「おさんぽ!」「ごはん!」
さあどうするハッピー!!!
ハッピーが二人を笑わせようとして突然奇妙なダンスを踊りはじめるんですけど、ハッピーの必死な気持ちが伝わってきて
おかしいのにちょっと涙がでそうになりました
うちの小太郎(ねこ)も、どうにか伝えたい。
だけど通じない。どうしよう?って困ってたりするのかな、、、
きっとそうですよ!
言葉がわからないぶん、
よく見てあげないといけないですね
第2話「笑って忘れて」
新築のマイホームっぽいおうちの庭に面した開放的な部屋が舞台。
背景には青い空が広がり、遮るものはない。
どこか高台に建てた見晴らしのいい住宅に違いない。
えみ(小西真奈美)は弦太郎(草彅剛)の妻である。
初々しい様子から新婚さんのように見えます。
弦太郎は留守です。
そこに庭のリフォームの見積もりにやってきたという男がやってきます。
依頼主はえみだと言います。
しかし、えみにはそんな依頼をした覚えはない。
今度は弦太郎の会社の同僚が書類を持ってやってきます。
聞けば弦太郎は長い間出社していないという。
おかしい。そんなはずはない。弦ちゃんは毎日会社に行っているはずなのに、、、
なにかおかしいと弦ちゃんに訴えるえみ。
弦ちゃんは何も心配する事はないという。
弦太郎はえみを笑顔にしたいのだ。
やがてえみは笑うと記憶を失う病に罹っている事を知ります。
弦太郎はいつもえみを優しく守り、えみを喜ばせようとします。
例ええみの記憶がリセットされ、またいちから同じ毎日を始めるとしても同じようにえみに接し、えみの素敵な笑顔を見たいと思っています。
えみは悩みます。
楽しく幸せな弦ちゃんとの毎日。だけど楽しくて笑うと自分は記憶を失ってしまう。
それは弦ちゃんにとってとても不幸で残酷なことではないのか、、、
悩み、自身を責め、顔を曇らせるえみ。
けれど、弦太郎が望むのはえみの笑顔、、、
弦ちゃんが優しすぎて
えみのことが大好きで
えみも弦ちゃんが大好きで
普段、どんなに胸を打つドラマや映画を観ても泣かない
このドライアイの私が泣きましたからね、、、
いつかまた再演されると信じて、物語についての記述はここでやめておきます。
「家族のはなし」の家族について
ところで、
ワタクシ、舞台を観終わって不思議に思った事がありました
なんでしょう?
なぜ
「夫婦のはなし」ではなく
「家族のはなし」なのか
あー、なるほどー
そこで「家族」という言葉の意味を調べちゃいました
調べるの、わりと嫌いじゃないですもんね
ふふ
ふふ
「家族」とは
夫婦とその血縁関係にある者を中心として構成される集団(三省堂:大辞林)
とあります。
つまりある夫婦を中心に上下横に広がる血縁関係集団っぽいのですが。
この集団の中で夫婦だけ異なる点があります
血縁関係がないことですか?
ほぼ正解です
家族であることの認識パターンには3つあります。
ひとつは血縁に基づくもの
ひとつは契約に基づくもの
ひとつは承認に基づくもの
血縁は、家族と認識するうえでわかりやすいパターンです。
契約は、おもに夫婦。養子縁組もこれにあてはまると思います。
夫婦だけ契約なんですね
はい、契約です。
そして血縁は切っても切れない
えっと
承認はどんな人ですか
承認は、
最近だとLGBTでよく取り上げられていますが実質家族のパートナーです。
納得しました
しかし、もっと昔から承認されてきた家族がいます
!?
ペットです
!!
それはもう絶対です!!!
家族の繋がりに太さがあるとすれば、血縁>契約>承認の順番になると思います。
切れない繋がりの順番と言ってもいいかもしれません。
本舞台で披露される家族に血縁性の家族はでてきません。
第1話では夫婦と犬(ペット)
第2話では夫婦
あえて血縁のない組み合わせで家族を描く物語を設定しています。
さらに家族の存在について考える
家族というのは、良きにつけ悪しきにつけ多くの記憶を共有する運命共同体のような関係です。親子、兄弟、祖父母に孫。
そう書くと、家族というよりも血族と言った方がしっくりきます。
時に甘え、時に疎ましく思える存在。
他の目上の人には礼儀正しいのに、なぜ父母兄弟には乱暴な言葉を使ってしまうのか。
友人、知人には多少の距離を置くのに、なぜ父母兄弟にはべたべたに甘えてしまうのか。
何があっても切れない繋がりがあるという、揺るがぬ信頼が根っこにあるからだと思います。
もちろん不幸な運命を辿る家族も少なくない事は重々承知していますが、家族という言葉で浮かぶのは誰よりも近しい人たちの顔だと思います。
感謝しても感謝しきれないのに
つい、ぞんざいな態度を取ってしまったりしたするのは
安心しきっているからかもしれません。
家族がいなければ自分もいない、というのはとてつもなく太い繋がりです。
家族になにかあった時、家庭の空気は大きく変わります。
誰かが病になれば心配します。
誰かが合格したとなれば自分の事のように喜びます。
また家族の存在は時に足かせになります
家族を思うと、自身の自由が奪われます。自分ひとりの問題ではなくなるからです。
また自分自身も間違いなく他の家族の足かせにもなっています。
一方で、家族の存在は支えになってもくれます。
困窮した時に、精神的にも時に経済的にも頼れる存在です。
そして自分自身も家族に頼られる存在でもある。
運命共同体ですね
つまり家族というのは強烈な相互作用を持つ存在
自分の行動による影響を最も与えてしまう存在が家族です
幸せになるために
誰もが幸せになりたいと願っていると思います
あ、幸せになる方法を見つけたかもしれません
まずは自分が家族を幸せにすればいいのです。
家族を笑顔にすればいいのです。
感謝の気持ちを伝えるだけでもいいのです。
これだけ相互作用の強い存在です。
家族の幸せは、限りなく自分の幸せでもあります。
家族の幸せのために、家族みんなを笑顔にしましょう。
家族が幸せになると、自分も幸せになり、自分が幸せになるとさらに家族も幸せに。
その延長線上には、ご近所さんの幸せがあり、職場の仲間の幸せがあり、友人の幸せ、やがてはともに暮らす国の、世界の幸せにつながります。
妄想が過ぎました、、、
「家族のはなし PARTⅠ」で登場する家族は夫婦と犬です。
家族を定義するうえで、最も繋がりの細い「契約」と「承認」で繋がった家族です。
家族はたくさんのコミュニケーションを重ね、思い出を重ねていく存在です。
にもかかわらず
第1話ではコミュニケーションの手段である言葉が使えない
第2話では大切な記憶をなくす病
家族という繋がりが絶たれかねないハンデを負わされます。
しかし、そんな今にも切れそうな細い繋がりだとしても
第1話ではハッピーが、第2話では弦太郎が、
家族を笑顔にしようと思い続けています。
家族の幸せを思い続ける事で細い繋がりは、決して切れない強い繋がりになる。
それが家族の幸せに繋がり、やがて社会が、世界が幸せなる。
そんなメッセージが「家族のはなし PARTⅠ」には込められていると感じました。
世界中が疑心暗鬼になっている今だからこそ
余計に多くの方に観てもらいたかったですね
きっとまたいつか再演されますよ
必ず!
ですね
ですね
最後に「家族のはなし」草彅剛の想い(インタビューより抜粋)
昨年の本公演の直前、ステージナタリーさんでインタビュー記事がアップされていました。
インタビューの中で特に印象に残ったQAを抜粋します
──1話と2話をまとめて「家族のはなし」とタイトル付けられていますが、2つの物語から草彅さんはどんなキーワードが浮かびましたか?
(草彅剛)
簡単に言えば、愛や家族愛ということになると思うんですけど、さらに突き詰めると、日常の幸せとか人の生き方とか……。この作品をご覧になったお客様が、ご自分の家族のことを思ったり、「私は幸せなのかな」とか「今日は幸せだったな」と、ご自分の日常を振り返っていただく機会になったらいいなと思います。
──これまで草彅さんは、どちらかと言うとシリアスな物語や、非日常的な世界観の舞台に多数出演されてきました。今回のように“普通の人”を演じる草彅さんは、むしろ新鮮な印象を受けます。
(草彅剛)
実は今回、芝居をするのをやめようと思っていて。特に2話は、例えば今のように、普通に話している感じでいこうかなと考えているんです。普段は舞台だと、アクティブに動いてお客さんの目線を動かすのが好きなんですけど、今回はそんなに動かないほうが、えみと弦太郎の関係性がより伝わるんじゃないかと。そういった点で、確かにこれまでの舞台とはまったく違うアプローチになっているんですが、ある意味、日常の僕には近いのかもしれないなと思います。
第2話の剛君は
みんなが大好きな優しいつよぽんでした
日常の剛君に近いお芝居だったんですね
再演を願って
新型コロナウィルス退散!
新コロ退散!
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