舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」2020年2月2日 観劇 - 長いナイフの夜 Idiot Wind -

アルトゥロ劇評アイキャッチ 舞台
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横浜、神奈川芸術劇場KAAT 初参上!

みいたさん

後頭部が写ってますよ

KAAT 初潜入~

いや、

堂々とチケットを持って入ってください

KAAT

KAAT神奈川芸術劇場と『アルトゥロ・ウイの興隆』

KAAT神奈川芸術劇場は2011年に開館した神奈川県を代表する舞台芸術専用劇場です。
イメージカラーは黒×朱赤。

赤いKAAT

赤いですね

今回の舞台『アルトゥロ・ウイの興隆』はヒトラーとナチ党。
ナチスの旗で使われている配色は赤・黒・白です。

赤は血液、怒り、衝動
黒は脳、善悪、カリスマ
白は純粋、浄化

を連想、喚起させるそうです。
ナチスの旗と聞いてイメージする色は赤と黒ではないでしょうか。

KAATの芸術監督でもある白井晃さんは、劇場についてこう話されています。

「表現者と鑑賞者の間に起こる精神的、感覚的な震えを作る場が劇場です」

KAAT俯瞰

KAATの配色、空間造りは、まるで『アルトゥロ・ウイの興隆』のためにデザインされたのではないかと思うほどです。

『アルトゥロ・ウイの興隆』の世界へ

劇場に足を踏み入れて驚くのは、赤と黒で統一された客席と天井が作る空間。
まるで血液を巡らせる巨大な心臓の中に入り込んだようです。
赤血球である客席は、その心臓弁である舞台を取り囲むかのように設置されています。

物語の題材からは血なまぐさい場面も想定されるのですが、舞台と客席の高低差は最小限です。
舞台の延長線上に客席があるような錯覚に襲われます。

この舞台と客席の境界の希薄さは、舞台上の出来事と現実世界の境を曖昧にするものです。
明らかにこの舞台は観客を巻き込もうとしています。
舞台と観客席が一体化されて、物語世界に取り込まれてしまうのではないかと警戒してしまうほどに。

一方で、その一体化を拒むかのように、舞台には巨大なフレームが設置されています。

フレーム

このやけに目立つフレームの設置意図はわかりませんが、これから始まる物語をフレームを通して客観的に見て欲しい、という演出側の願いが込められているようにも感じます。
あるいは
「フレームを通して安全な場所で見ているつもりでも、必ず舞台の中に引きずり込んでやるからな」
という、挑戦状のようにも感じます。

いずれにしても攻撃的なものを予感させたまま、私たちは開幕を待ちます。

『アルトゥロ・ウイの興隆』オープニング

案の定、始まりは普通ではありませんでした。

客電がついたまま、舞台上にこの音楽劇の演奏を請け負うオーサカ=モノレールのバンドメンバー、そしてウイを除く殆どの登場人物が現れます。
舞台のそれぞれの位置につき、静止します。

皆が静止している中、オーサカ=モノレールのボーカル・MC中田さんの前口上が始まります。
この舞台はヒトラーがのし上がる姿を、シカゴギャングに置き換えたものである事が告げられます。

そしてこの舞台の主役、アルトゥロ・ウイをコール!

派手な演奏とともにウイ(草彅剛)が颯爽と登場。

舞台上にいた演者が一斉に動き出します。

ファンクの帝王ジェームス・ブラウンの代表曲「Get Up Sex Machine」
オーサカ=モノレールの生演奏にウイのシャウトが重なります。
演者は次々と観客エリアに飛び込み、民衆=客に手拍子を求め、煽ります。

ゴージャスな演奏と煌びやかな電飾、キレッキレなウイのダンスに妖艶なダンサー。

会場は一瞬にして手拍子、足拍子に飲み込まれ、舞台と客席が一体となります。

高揚感を十分に書き記せないのですが
オープニングの雰囲気、少しでも伝わったでしょうか

私は、もう、

すぐにウイの党員になりました

みいたさんは、

わざわざ赤いスモックドレスを着て観劇に臨んでました

この舞台の上演時間は3時間。
幕間を挟んで、第1幕と2幕に分かれています。

物語のあらすじ

シカゴギャング団のボス、アルトゥロ・ウイは、政治家ドッグズバローと野菜トラストとの不正取引に関する情報を掴んだ。
それにつけこみ強請るウイ。
それをきっかけに勢力を拡大し、次第に人々が恐れる存在へとのし上がります。
見る見るうちに勢いを増していくウイを、果たして抑えることが出来るのだろうか・・・。

物語の内容は前口上でも紹介されますが、
1920年代終盤からナチス・ドイツがオーストリアを併合する1938年までのヒトラーの興隆を模したものです。

この10年間、ヒトラーは本当に一人しかいなかったの?と、疑問に思うほど多岐にわたって多くの戦果、成果を上げています。

3時間の舞台(それでも長時間の舞台です)なので、史実はかなり簡素化、作者ブレヒトの創作で犯人を断定している事件もあります。

ブレヒトはヒトラーの功績の部分を排除し、絶対悪として設定しています。
にもかかわらず、ヒトラーに熱狂し流されていく大衆こそが真の恐怖である事を明確に示したかったのかもしれません。

もう少し詳しく史実を知りたいな

と思った方はこちらの記事も参考にしてください

第1幕では、
しがない弱小ギャングだったウイが、正直者で知られる政治家ドッグズバローの収賄をネタに、後ろ盾になるように強請り、権力を掴む過程が描かれます。
ウイが快調に権力を手に入れていく様は、音楽とダンスでショーアップされた演出も相まって、心地よい高揚感に劇場は覆われます。

ドッグズバロー

第2幕では、
長年の盟友であったローマをウイが裏切り、射殺する『長いナイフの夜』と呼ばれるエピソードを経て、シカゴに隣接するシセロ市の野菜トラストを手中に収める過程が描かれます。
もちろん随所にダンスなど、ショーアップされた演出は散りばめられているのですが、第1幕に比べるとぐっとドラマ寄りな演出になっていて、観客は内省する時間を与えられます。

ローマ

この『長いナイフの夜』のくだりで、観客は意外な場面を目撃する事になります。

絶対悪として描かれていたはずのウイが、射殺したローマの霊に糾弾される悪夢に苦しむ場面が演じられるのです。

ウイが、はじめて人間らしい弱さを晒すのです。

冷酷非道なはずのウイが、急にどうして弱さを見せたのか?と、疑問に思った方もいらっしゃるかと思います。

それには『長いナイフの夜』と呼ばれる、ヒトラーが盟友レームを粛正した事件に触れる必要があります。

長いナイフの夜

ヒトラーの長年の盟友であり、突撃隊長として政敵の摘発や弾圧にあたっていたレーム。

突撃隊はレームの方針が、色濃く反映されている半独立組織でもありました。
構成員は失業に喘ぐ下層民が多く、また社会主義的な思想を持つ隊員も多くいました。
ゆえに国防軍などの保守勢力との衝突もしばしばで、ヒトラーの頭を悩ませる存在にもなっていました。

レームは突撃隊として力を持ち過ぎ、正規の国防軍と対立。
国防軍を仕切る貴族を排除する、過激な革命をヒトラーに要求します。

しかし、ヒトラーは大戦における国防軍の能力を高く評価していました。
また、レームの主張する過激な革命はドイツの内戦にも繋がりかねません。

そんな時、レームと衝突していた保守勢力のヒムラー、ハイドリヒ、ゲーリングらが突撃隊の「武装蜂起計画」をでっち上げ、反乱計画の証拠を捏造してヒトラーに提示。
ヒトラーにレームの粛正を決意させます。

レーム逮捕にあたって、ヒトラーは自らレームの居室を訪れます。
拳銃を突きつけ「逮捕するから服を着ろ」と命じます。
この時、ヒトラーはレームの処刑を見送っています。
そして後に
「レームのこれまでの功績に免じて、許した」と述べたとも。

レームの助命を望んだヒトラーですが多数を占める処刑執行派には抗えず、処刑は実行されます。

この時レームは、
「俺を殺すというなら、アドルフ自らがやるべきだ」と反論したと言います。
もちろん、その望みは叶えられることなく処刑されます。

そういう事件を知ったあとで

ウイがローマの霊に苦しめられる悪夢のシーンを観ると、

また違った感情がでてきますね

ブレヒトはナチの被害者でもありましたから
ウイの人間味のあるシーンなど描きたくはなかったと思いますが
なぜ、そんなシーンを描いたかは不明です

ちなみにこの『長いナイフの夜』と名付けられた事件の名前ですが、
「5世紀のウェールズで、ザクセン人傭兵達が宴会に招いた非武装のブリトン人たちを隠し持った長めの小刀(Long Knives)によって殺害した事件」から付けられたとされています。

『裏切りによって行われる虐殺劇』を指す言葉のようです。

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『アルトゥロ・ウイの興隆』エンディング

劇の終盤、私たちはウイに”賛同”か”拒絶”かを迫られます。

この頃には、私たちはすっかりシセロ市の民衆になってしまっています。
シセロ市でウイを糾弾していた新聞社主のダルフィードは、すでにこの世からいなくなり(暗殺されます)、その未亡人である妻のベティがウイは信頼できる人だと称賛しています。

ウイの野菜トラスト労働者たちが客席になだれ込み、しきりに賛同の挙手を煽ります。

私は足元がぞわっとするのを感じながら、挙手をせずに静観します。

周囲では嬉々として挙手をする民衆もたくさんいます。

挙手をしなかったものが、問答無用で射殺されていきます。

賛同の挙手をする民衆の割合が圧倒的に多くなっていきます。

見えない力が、同調圧力が腕を上に動かそうとします。

でも私たちは知っているのです。

ヒトラーは、ウイは、この後破滅するという事を。

それでも挙手してしまうのか、、、

ウイが叫び、踊っています

皆がウイに夢中です。

私はすぐに手を上げました

私も無駄な抵抗でした

大衆の賛同を得て、シセロ市の野菜トラストを手中にしたウイが叫びます。

酷使した喉で、痛くて仕方ないであろう喉で、しゃがれた声で叫びます

ウイを求めている、これからウイが統治しなければならない街の名前を次々と叫びます。

最後に声を振り絞って、叫ぶ街の名前は

「ニューヨーク!」

ウイの、野太く赤い獣の声が世界を隅々まで震わせます。

舞台と客席では演者が踊り続けます。民衆もそれに応え続けます。

ただひとり、ウイだけが静止したまま、、、

最後、ウイは何を思い

何を見ていたんでしょうね

わかりません

ウイは冷酷でした

でもウイの行く末を知って見ている自分も

冷酷で残酷なんだなとも思いました

ヒトラーの最後は、総統地下壕の一室で、夫人のエーファ・ブラウンとともに自殺です。

この物語の先に待つのは悲劇です、世界にとってもウイにとっても。

私たちはとうとう歴史に逆らう事ができませんでした。

誰にとっても不幸な未来になる事を知りながら、ウイに史実をなぞるように支持(指示)したのです

虚空を見つめるウイの眼は問いかけます、

本当の悪は、いったい誰なんだろうね?

エンディング

カーテンコール We rise! UI rise!!

カーテンコールは3回?

うーん、私たちは
なんで正確に回数を覚えてないんでしょうね?

2回目のカーテンコール、オールスタンディングの中オーサカ=モノレールのメンバーが演奏位置に戻りました。

もしかして?

We rise!

千穐楽だけの特別演奏でしょうか?

ウイも舞台を駆け上り、マイクスタンドを握りしめて踊り、シャウトします。

観客も一緒に歌い、腕を振り上げます。

UI rise !

We rise

楽しかったですね♪

ひとりでもSMAPでしたね♪

スターオーラがハンパないw

あれだけ踊り続けて、

シャウトし続けて、

息ひとつ乱さないで台詞を喋れるなんて

もの凄い鍛錬ですね
あんな激しい舞台、
他に誰ができるか思い浮かばないです

「また逢いましょう」つよぽんが舞台を去ります。

終演のアナウンスが流れますが、カーテンコールを求める拍手は鳴りやみません。

三度、演者が勢ぞろいして並びます。
互いに労い、挨拶。

つよぽん、千穐楽、最後の言葉は

「おやすみっ」

古谷一行さんに「おうやすみって」

と、突っ込まれていましたねw

またウイが再演されるといいですね

18時頃、家に帰って

ななにーを見たら、つよぽんが

う〇こーって言いながらゲームしてましたね

ななにーの開始時間に間に合わなかった理由は

りーろん豚まん

江戸清 りーろんブタまん

とってもお腹の空く舞台でした

舞台の熱量が凄かったので

観てるだけでカロリー消費

観劇後のおすすめの音楽 Bob Dylan – Idiot Wind(愚かな風)

観劇中、耳はジェームズ・ブラウンの曲を聴いていたのですが
頭の中では別の曲が繰り返されていました

Bob Dylanの1975年の傑作アルバム「Blood on the Tracks(血の轍)」収録曲
「Idiot Wind(愚かな風)」3番の歌詞の一節

It was gravity which pulled us down
僕たちを引きずり込んだのは重力
And destiny which broke us apart
そして僕たちを引き裂いたのは運命

What’s good is bad, what’s bad is good
善は悪に、悪は善にもなる
You’ll find out when you reach the top
君が頂点に届いたらわかるだろう
You’re on the bottom
君が底辺にいるって事が

エンディングで虚空を見つめるウイは、なにを思っていたのだろう。
口を閉ざしたウイが、もし心の中で呟いていたとしたら、
きっとこの歌詞のような言葉だったんじゃないだろうか。

次はボブ・ディランの音楽劇も観たいなあ、つよぽんで、ねえ白井さん。

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