舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」2020年1月11日公演開始(予習)前編 -独裁者を生んだ時代背景-

アルトゥロ・ウィ予習アイキャッチ 舞台

いよいよ今週(2020年1月11日)から舞台が始まります

私たちが入手できたチケットは千秋楽(2月2日)ですから、観劇はしばらく先になりますね

今回の舞台はヒトラーを題材にしたものだそうですが

正直、世界史に疎いのでそんな自分に一抹の不安を感じます

わたしも戦国武将のことなら多少は、、、

貧相な知識のまま観劇に臨むのもどうかと思うので今日は予習がてら多少ヒトラーの台頭を許した時代についてお勉強をしたいと思います、、、いや、できたらいいかなーと

だ、大丈夫ですか?
jamさん工学部なのに…

我ながら不安しかないです…

ベルリナー・アンサンブル『アルトゥロ・ウイの興隆』2005年6月22日~30日上演 新国立劇場 中劇場

『アルトゥロ・ウイの興隆』は2005年に新国立劇場にてドイツの劇団ベルリナー・アンサンブルによって来日公演が行われています。
この劇団は作者のベルトルト・ブレヒト(1898年~1956年)が1949年に設立した劇団です。

この時の公演は相当衝撃的なものだったようです。
特にオープニングの演出は印象的だったらしく、コンサルタントとしてご活躍されている中村隆一郎さんの劇評ではこう書かれています。

赤く染めた舌をだらりと下げて、息づかいも荒く地べたをかぎ回り、激しく体を震わせる。
まるで猟犬が獲物を追いかけるように舞台を縦横に駆けずり、観客はこの見たこともない俳優の身体能力にしばらく圧倒される。これは犬である。
何かに憑かれたような恐ろしい動物である。
幕が開く前、舞台の両脇にはそれぞれ巨大な牛の頭をかぶった大きな男と蛇の頭の男が立っていて、異様な物語が始まるのを予感させていたが、それでもなおマルティン・ヴトケのこの犬は意表をつく開幕であった。
日本の俳優の誰がこのような激しい形態模写をやれるだろうか?

文中のマルティン・ヴトケさんは主役のウイを演じた俳優です。
シューベルトの歌曲『魔王』が流れる中、舞台をはいずり回られたら怖いですよね。
ギリシャ神話における冥界の番犬ケルベロスは3つの頭を持っていますから、頭がひとつのこちらは北欧神話のガルムなのかもしれません。いずれにしても冥界の番犬です。
悪魔の忠実なしもべが産み落とされた様を表現したものかもしれません。

もっともこのシーンは原作にはなく、演出家のハイナー・ミュラー(1929年~1995年)のオリジナルのようです。

マルティン・ヴトケ

演出:白井晃さんバージョンのオープニングはどうなるのか楽しみですね

音楽はジェームス・ブラウンの楽曲が使われるということなので
シューベルトの『魔王』とのギャップがありすぎて想像もつきませんね

身体能力については草なぎ君なので全く問題ないですね

美しいまわし蹴りです

話が逸れました。
本公演のパンフレットに寄稿したドイツ文学者の岩淵達治さん(1927年~2013年)によると本作は、

「やや落ち目だったヒトラーが首相に任命されるや、国会放火事件で共産党を弾圧、財界や旧勢力と妥協するために過激な同士を粛正し、大統領の死後は総統となってナチスの一党独裁体制を固め、オーストリアへ無血侵入して合併するまでの事件」

を描いたものだそうです。
1929年から第二次世界大戦の始まる直前1938年あたりの10年間でしょうか。

ドイツ国民じゃなくとも多くの人はこのあたりの歴史に詳しいと思うのですが、正直私は知識がないのでより舞台を楽しむために、今日はここらへんを集中してお勉強したいかと思います。

まずは独裁者ヒトラーが生まれる直前、
当時のドイツの状況を「簡単に」振り返ってみましょう

第一次世界大戦(1914年~1918年)とドイツ

第一次世界大戦はドイツ・オーストリアを中心とした同盟国と、イギリス・ロシア・フランスの三国協商の対立を背景に起こった人類史上初の世界大戦です。
※ドイツとオーストリア、もともとは同じゲルマン民族でありオーストリア人の約9割がドイツ語を母語としています。

そもそもの戦争の原因ですが、
産業革命後のヨーロッパ諸国において生産性が飛躍的に上がりすぎてしまったことに起因すると思われます。

どんどんモノを作る一方なのは良いのですが、その生産品を自国の中では売り切る事ができず、世界同時不況がおきてしまいます。
供給を受け入れる市場がオーバーフローしたわけですね。

欧州各国は市場を増やすため国外に植民地を求め、植民地争奪戦に力を入れます。
多くの途上国(特にアフリカ、東南アジア)がヨーロッパの列強国の植民地にされ苦難を強いられます。

この欧州列強国の植民地主義は日本の軍事化の加速にも繋がるのですがそれはまた別の話

当然この植民地争奪戦は多くの紛争を生みます。
フランスを牽制するためにドイツは三国同盟をオーストリアとイタリアと結びます。
イギリスはフランスとロシアと協商を結びます。

イギリスはこの協商によって、ドイツをフランスとロシアで挟み撃ちできる状況を作り上げました。暗黒の歴史に登場するイギリスはなかなか狡猾ですね。

現在の平和な日本に暮らしている私からすると
イギリスってちょいちょいやらかしてるなあと思わないでもないです

そんなひりつくような緊張状態の中、ある事件が起きます。
ドイツの同盟国であるオーストリアの帝位後継者である皇太子夫妻が、反オーストリアのユーゴスラビア民族主義組織のセルビア人暗殺者によって射殺されるのです。
これが第一次世界大戦を誘発する最後の引き金となります。

オーストリアはセルビアに対して宣戦布告。
対するセルビアは、後ろ盾であったロシアが出陣します。

この機に乗じてドイツはフランス侵攻作戦を開始。
これに対してフランスと連合関係にあったイギリスがドイツに宣戦布告します。

ドミノ倒しのように戦端が開かれ、ヨーロッパ全土が戦禍に飲まれてゆくのです。

悪魔のドミノ倒しですね

一方、ヨーロッパとは遠く離れていたはずの日本とアメリカなのですが。

日本は日英同盟を理由に参戦し、中国や太平洋のドイツ権益を攻撃(逆に言うと日本のすぐ近くにまで欧州の支配が及んでいたのです)。
アメリカは1915年、ドイツの潜水艦によるイギリス船撃沈の際、多数のアメリカ人が犠牲になったルシタニア号事件をきっかけに参戦。

人類史上初の世界規模の戦争という不幸に発展するのです。

戦争を食い止めるチャンスはなかったのでしょうか

西欧列強国はもともと帝国主義(互いの領土を奪い合う時代)だったうえにヨーロッパ外でも植民地を奪い合う植民地主義まで乗っかってくるという異常な時代です。
同盟相手もころころ変わっていきますし、国家間の真の信頼関係などないに等しい時代だったんでしょうね、、、

ドイツはアメリカの参戦により次第に不利な戦況に追い込まれます。
1918年には食料も不足しドイツ国内では厭戦気分が高まってゆきます。

そして10月、ドイツ艦隊の一部で出撃命令に従わない水兵による反乱が起きるのです。
この反乱に労働者が呼応して各地で反乱を起こし、遂には11月7日にはミュンヘンで革命政権が成立しました。

革命政権は11月9日に帝政の終了を宣言するとともに、社会民主党党首のフリードリヒ・エーベルトが首相に据えてドイツ共和国(=ワイマール共和国)を発足させます。いわゆるドイツ革命です。

そしてそのたった2日後、1918年11月11日ドイツ共和国は連合国と休戦協定を結びます。
ドイツは敗戦国となったのです。

当時のヨーロッパはグチャグチャですね
経済、民族、宗教、植民地主義の強烈な対立の結果なのかもしれません

本当に怖いです

敗戦国ドイツに課せられた罰則(1919年~1921年)

敗戦国ドイツは1919年6月28日のパリ講和会議の結果、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿にて第一次世界大戦の連合国と講和条約を結びます。

しかしながらこのヴェルサイユ条約の内容は、連合国側のドイツに対する報復という面が強く現れたものになります。

ドイツのすべての海外植民地と権益の放棄や、軍備の制限はもちろん、
・ フランス・ポーランド・ベルギー・デンマークに隣接する地域を割譲。
・ ザール地方の炭鉱採掘権をフランスに、一部港湾の管理権をポーランドに譲渡などなど。
この条約でドイツは国土の7分の1を失います、
そして何より「戦争責任はドイツにある」とされ、莫大な賠償金の支払い義務を課せられます。

「賠償を損害の補償に限定すべき」「あまり長期にドイツを拘束することは復讐心をかき立てるとして反対」との意見も出されはましたが、強硬派の声は強かったようです。

1921年、ドイツの賠償額は1320億マルク(=純金47,256トン相当)と決定されます。
当時のドイツ国民総所得の実に3年分?という莫大な金額です。

ドイツはこの金額を向こう30年間にわたって分割払い、しかも外貨で支払うことになりました。

ちなみに今の日本だと

国民総所得が約550兆円、税収は約50~60兆円です

1500兆円の賠償金を払う計算になる?

ヒトラーはこのドイツの敗戦に大きなショックを受け、ドイツの窮状を救うために
「政治家になろうと決意した」と回想しています。

屈辱的な敗戦を受け入れたドイツ社会民主党の有力な指導者の多くがユダヤ人であったことから、もともとドイツ民族主義者であったヒトラーはますます反ユダヤに傾きます。

また世論も、ドイツ革命に反発した民族主義の右翼が共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」がドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のワイマール共和国では反ユダヤ主義が高まっていきます。

ドイツの反ユダヤへの傾倒はヒトラーの暴走だけではなかったのです

第一次世界大戦後のヒトラー(1919年~1929年)

大戦中ヒトラーは伝令兵としてかなりな功績をあげていました。
戦争で二度も負傷し、勲章を6個授与されています。
かなり有能な兵士と評価されていたようです。

大戦後は「教育将校」として各地で兵士の赤化防止(共産・社会主義化防止)のための演説の任にあたり、各地で聴衆から万来の喝さいを浴びます。

この頃から空前絶後のアジテーターの片りんを見せ始めていました。

アジテーター

1919年9月、ヒトラーは軍司令部から与えられた任務としてミュンヘンの小さな極右の政党だったドイツ労働者党に参加します。目的は活動内容を調査するためです。

この政党は共産主義、ユダヤ人、フリーメーソンなどと戦う事を党是としてたのです。

ヒトラーにこの任務は、、、

最も与えてはならない任務でしたね

調査を進めるうちにヒトラーはその思想に感銘し、どんどんのめり込んでいきます。
後のナチス党の母体となります。

ヒトラー参加後、ほどなくこの政党は国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス党)と改称し、翌1920年2月に有名なビアホール、ホーフブロイハウスで2000人の聴衆を前に旗揚げの演説を行います。
舞台に立つのはもちろんヒトラーです。

当時の警察記録によると、時折反対党と支持者の間で騒ぎが起きたが、演説の最後には「いつまでも続く嵐のような賛成の声」が起こったといいます。

そしてこの日の演説によってヒトラーは大衆を催眠にかける自らの演説の才能に気づくと同時に、反共産主義とドイツ国家の再建という確固たる使命感を抱いたと思われます。

敵対する野党ドイツ共産党の指導者の多くがユダヤ人であったところから、ヒトラーは演説の才能を最大限に操り、ユダヤ人に対する伝統的な反感を巧みに煽る戦術をとるようになります。
そしてその戦術は着実に党勢を伸ばしていくことになるのです。

魔王の誕生ですね

その頃のドイツ国内の社会情勢ですが、政権与党は依然としてドイツ社会民主党です。
しかしながら過酷な賠償金支払いはドイツを経済的破綻に追い込み、ハイパーインフレをもたらします。

巨額の賠償金を払うために輪転機を回し続け紙幣を大量に発行しまくった結果です。

第一次世界大戦直後、0.2マルク程度だったの新聞の値段が3年後には40マルクにもなったそうです。

マルクの価値が急降下する一方、賠償金の支払いは外貨払いです。
外貨の調達は困難となり、ドイツの支払能力を超えてしまいます。

お金で支払えないのなら現物で、とばかりにフランス軍とベルギー群はルール工業地帯を占領し、貴重な燃料である石炭を奪い去ります。

ドイツ国民の怒りが沸騰します。

このまま政権与党は倒れてしまうのですね

ところが当時の政権与党、
ドイツ社会民主党はかなり有能だったようで
金融政策と外交努力で奇跡を起こします

まず外交面ですが、
ドイツ国内の不満が高まり、国家崩壊のおそれすらでてくる中、当時の外務大臣だったシュトレーゼマンは懸命に国際協調外交を推進します。

ドイツ共和国が崩壊して得をする国は殆どありません(侵略しようという国はあったかもしれませんが)。
特に大戦の趨勢を決めたヨーロッパから遠く離れたアメリカにとって、ドイツ共和国の崩壊で得るものはなにもありません。

1924年8月、連合国側はアメリカの財政家ドーズを委員長とする専門家委員会の提案を受け、新たな賠償方式を決定します。「ドーズ案」です。

「ドーズ案」は、標準の年支払金額を25億金マルクとし、むこう4年間はその金額を減額すること、支払いはドイツ通貨でおこない、外貨の調達は連合国側の委員会が行うことなどとしました。

ドーズ案は9月に実施され、その結果フランス軍はルール工業地帯から撤退します。
賠償金支払いの見通しもなんとかつき、ドイツ経済も復興するきっかけとなります。

ドーズ氏は1925年度のノーベル平和賞を受賞します。

一方金融政策では、ゴミクズになったマルクの価値をどうにかしないといけません。
政府は通貨の単位を切り下げるデノミ政策を実行します。

ハイパーインフレの状況下では、ちょっとした買い物にも大量の紙幣を持ち歩かねばならず、計算も記帳も煩雑で市民生活だけではなく、全ての経済活動にも支障をきたします。

通過の単位を切り下げれば少ない紙幣で済みますから、店頭などでの混乱は少なくなり経済活動もひとまずは安定します。

この時の切り下げは、なんと1兆マルクを1レンテンマルクとするものでした(つまり従前の紙幣マルクは1兆分の1で交換回収されたのです)。

理論上はそうですが、デノミ政策がうまく行くことは滅多にありません

なのでこの時のデノミは「レンテンマルクの奇跡」と呼ばれています

ドーズ案とデノミ政策はヨーロッパを不穏な状況から救ったんですね

新たな戦争の火だねを消した、大功績です

賠償問題解決のためのドーズ案が策定されて以来、ドイツではアメリカの関与が強まり、アメリカ資本がどんどん投入され経済も上向きになります。

アメリカ資本に完全に依存した形ではありますが、賠償のための資金も外債によって調達できドイツ国内は明るい状況となっていきます。

生活と経済が安定すると政権与党の支持は強固なものになります。
ドイツ国内の不満を煽って勢力を伸ばしてきたヒトラーのドイツ労働者党の勢力も伸び悩む事になります。

ようやく上の方に書いた「やや落ち目だったヒトラーが云々・・・」
「やや落ち目だったヒトラー」の時期にたどり着きました!

jamさん…記事が長すぎです…

しかもこれまでは前置きで、これからが本題な感じですよね?

そ、そうですね

読んでくれる人いないかもしれませんよ?

わ、わたしもそんな気がします

それ以前に、、、

それ以前に?

この後のヒトラーの所業をうまく書ける気が全くしません

歴史に疎いもので、、、

!(励まさなければ…)

いちおう本記事は「前編」としておきます。
「後編」は書けるかどうか、、、

で、でも当時の独裁者誕生前夜の雰囲気はなんとなく伝わってきましたから

お力落としなく…

それ、お慰めのことばですよね?

・・・(汗

後編予告

ドーズ案施行後、アメリカ資本の投下もあり順調に経済も国民生活も安定してきたドイツ。
ヨーロッパは平和な時代へと推移していくものと思われました。

きっと誰もがそう願い、決して夢物語ではないと思い始めていた時、、、

再び歴史の悪魔が大鎌を振りかざします・・・後編につづく(のかもしれません)

書けるかどうかわかりませんけど、、、

ごめんなさい

長くてすみません、後編の記事です…

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